2015年10月29日

真夏の昼空の向こう

体調はよくなっても、呆然自失という新たな枠組みは、はたして薬の副作用によるものなのか、わたしちゃん自身の新たなキャパオーバーサインなのか。完全には治らなくったっていいと、はじめからおもっている。

なんとなく、なくしたくないのだ。わたしは、このなくしたくない自分を、絶対的にまもってほしかった。なんて、荷が重いか。この頃、思考回路が1年前に逆戻りしはじめている。ふいに、泣きそうな心持ちになって、あわててしまうね。どうしてどうしてどうしてどうして、どうして。

あきらめてしまえよ、そう何度も言い聞かせたはずなのに。ひとふたり、たましいふたつ、うつわにこ、相容れやしない。ふたつがひとつには成りえない。
もやに消されて、富士山は稜線も見えなかったのに。今夜は once in a blue moon だって。わたしちゃんてね、晴れ間女なのよ。

お惣菜屋さんの山盛りおかずも売り切れて、Close の文字が傾くガラス越し。
仰げば、お月さまが坂道の少し先をつねに照らす、歩いていく。
わたしちゃんは、あれも欲しい。  


Posted by 鴬 at 12:31Comments(0)

2015年10月08日

繰り返すがこれは

作者自身の、生々しい就活体験を元にしてあるのだろう、
現代を生きる若者たちの、苦しさや心許なさが、
えぐるように描かれてあった。ここ数年来の就職活動生たちは、
市場原理資本主義経済社会の、最大の犠牲者といえるだろう。

あまりにも狭き門に向って、
友人さえも、ライバルどころか、
食うか食われるかの、情け容赦ない“敵”と化して、
足を引っ張り合い、陰で中傷し合い、
面罵し合い、潰し合う世界。

異常で、恐ろしい社会だ。それが、決して妄想ではなく、現実化しているのだ。
社会に、もし健全さが残っていれば、
学生たち寶寶推車に対し、その能力や才能の方向にふさわしい、
生き場所の門戸を、必ずどこか開けるはずなのに!

現代日本社会に、なぜそれができないかと言えば、
  生き場所 = 地位 = 稼ぎ
のシステムが固定されているからだろう。

そのため、生き場所を得るために、
過当(もしくは不当)な競争が生じる。
  


Posted by 鴬 at 16:06Comments(0)